人生のログボ

是非読んでください。

花の10代が終わるまで

20歳の誕生日が近づくにつれ、花の10代の喪失が近づくにつれ、焦りばかりが募ってたまらない。どこかで前に聞いた話では、人間がする行動というのはその時その人がとりうる最善の行動らしいから、その意味ではジョジョの3部を只管に観ていた昨日の僕は無駄ではなかったのかもしれない。僕はポルナレフが本当に好きで、軽快な伊達男っぷりとか、シンプルイズザベストを体現したようなスタンドとか、アブドゥルを貶しながら涙を流すシーンとか、全部が刺さってしまう。次僕に会った時、僕がポルナレフのイヤリングをしている可能性は結構高いと言える。本当はピアスなんだけど、自分の体を傷つける行為がどこまでも嫌なのでイヤリングをつけていることだろう。ガワは別にいいけれど、ちゃんと伊達男になりたい。

 

別に10代最後にやりたいことがあるわけではない。というか年齢なんて只の数値だし、暦だって人工物なわけだから、やれ花の19だ20だなんて騒ぐことじたい的外れだ。けれど僕は文明に生きる文化的人間だから、当然のように数値には振り回されるし人工物で懊悩できる。17歳から18歳になったときとか、9歳から10歳になったときにはここまで心乱れることもなかった。19歳から20歳になるのには、あまりにも意味が多すぎる。やっぱりなにかキリがいいし、陳腐だが「大人になる」って感じがする。

 

大学に入ってからひしひしと感じているのは、選択が明らかにこれまでと違う意味を持ち始めたことだ。これまでは選択は「選び取る」ことであって、あれもこれもが許されていた。最近は何故だか選択の「切り捨てる」部分が大きくなってきて、常にあれかこれかの選択を迫られている感覚がある。大学院に行くとか色々あるけれども、それでももうすぐ眼前に社会は迫ってきていて、モラトリアムの終わりがどんどん近づいているような。そら社会に出たは出たで楽しいことはたくさんあるんだろうが、時間が止まってくれないことが急に意識されてきたというか、「残りいくら」でものを見るようになってきたというか、ネ。別にコロナのせいで学生生活が奪われた!とか、政府が!とか文句をブー垂れるつもりはさらさらない。文句を言いたいとすれば時間に対して。願わくばもうちくっとばかしゆっくり流れてくれ。

 

自分がまさかこんなことで焦れる人間だとは思っていなかったので、ある意味ホッとしています。これから可能な限り、花の10代の「残り」を書いていきたいです。

 

僕という【花】を、見てほしい……