人生のログボ

是非読んでください。

雪対策本部

小学生くらいの時は、異常事態のようなものに対してあまり怖いという意識がなくて、なんならちょっと楽しいもののように思っていた。震災の時、揺れている間は確かにビビった。しかし、これは本当に不謹慎なことなのだが、避難所で暮らすのは、正直少し羨ましいとすら感じていた。言い訳のようだが今は全く違う。首都直下に備えて防災グッズを日々Loftで探知する程度には、イチ日本人としての防災意識が醸成されたと思う。

 

要するにことの重大さがわかっていなかった。わかるべくもない。色々と視点を得る前の話だから、体育館での避難生活というものにどこか非日常の、特別なものを見ていたのだと思う。それでも流石に、周りの「視点を得ている人たち」の反応からなんとなく、ああ、避難生活に憧れている僕の気持ちというのは、よくないものなのだなということは察していて、それをついぞ口に出すことはなかった。ただ、そんな僕にも一切その重大さを理解できなかったものがある。雪だ。

 

雪は絶対に楽しいものだ。積もるべきものだと思っていた。雪が降ったら積もることを一心不乱に願っていた。雪を解かす気温を本気で憎んでいた。雪が積もった日ばかりは、普段は教室で深窓の令坊(深窓の令嬢のお坊ちゃんバージョン)と化していた僕も外で遊んだ。雪が解けたら、あとに残るのはぬかるんで最悪になった校庭だけだ。雪は解けないほうが良いに決まっている。

 

雪が降り続く日の夜、僕は家に「雪対策本部」を設置した。テレビの前に座布団を敷いて小さな机を持ってきて、そこでニュースを見ているだけの本部なのだが、多分僕の中にはNERVの管制室みたいなイメージがあった。異常事態に対応することをカッコいいと思っていたし、それは今でも胸の中にある。シンゴジラに出てくる人々とか、結構憧れたりする。それだからではないが、あれは唯一上映中に2回観に行った映画だ。

 

この冬は二度も大雪警報が発令されたが、「雪対策本部」を設置する余裕も体力もなかった。当時の想像力は未だ健在と信じたいが、ここのところは悪い方にばかり使われる。それは「備え」という意味では決して悪いことではないのだが。というか雪に対して、そこまでポジティブになれなくなった。

 

前回大雪の後、日陰にはだいぶ凍結した雪が残っていたのだが、僕は調子に乗って自転車で出かけた。家族からは止められたが、流石に自分は大丈夫だと思っていた。「花の19歳」を信じ切っていた。しかし、転んだ。それはそれは綺麗に、ツルッと。そして、強烈に、硬い氷に体を打ちつけたのだった。転ぶときは漫画みたいに世界がスローになって、受け身とか華麗に取れるのだろうと思っていたのだが、時間は全くの通常再生だった。

 

「転ぶ19歳」だった自分に絶望してしばらくそこから動かなかったが、誰も助けてはくれなかった。自転車整理のおじちゃんはマジで自転車整理しかする気がないのか、倒れたままの僕の自転車を至極邪魔そうに見ていた。痛み。絶望。憎しみ。恥。あらゆる負の感情が沸き起こる。

 

雪、滅ぶべし。それらの感情は鬼に家族を殺された炭治郎もかくやという怒りを燃やす焚き付けへと変貌した。「雪殺隊」があったら多分加入していたことだろう。それ以来、僕は雪に対して負の感情を抱く男になった。

 

今回の雪は早めに解けて本当に良かったですね楽しみにしてたガキザマァ。

 

ごめん。

浅草フォット

昨日落語のための着物を買いに浅草に行ってきた。ちゃんと行くのはガチで十数年ぶりになる。十数年ぶりなので前回行った時の記憶(数歳の時)はほとんどないのだが、なんだかずいぶん変わったみたいだ。

 

まず、洒落着物の若者が大量にいる。別に洒落着物を着ていること自体はなんら問題もない。華やかだし。だがそこかしこでパシャパシャ写真を撮っているのは問題だ。壁とかを背に撮ってくれるならいいが、開けたバックで撮っているのが問題だ。

 

それじゃ写っちゃうだろ、僕が。

 

人の写真の背景にぼんやり歩いている僕が写るのは恥ずかしいし、向こうだってぼんやり歩いている僕が背景に写り込むのは本意ではないだろう。僕は溢れ出る自意識を持っているから、そういうことを気にしちゃうのだ。

連中にフォトショップか何かで消されるのも気に食わない。背景の人を消す?失礼だろ。その人にも人生とかあんだよ。受け入れろ、存在を。体よく消すな。ていうか不自然だろ。浅草に人がいないわけないんだから。人がいての浅草だと思うけどな(別に彼ら彼女らがフォトショで人を消すと決まったわけでもないのだが)。

 

幼少期の掠れた記憶を辿ってみても、浅草は大混雑だった。人波に揉まれるというやつだ。当時は身長も低かったから、長い仲見世通の前の方ががほとんど見えなかった。寺の堂内なんておしくらまんじゅうで、お賽銭箱に辿り着けないからお賽銭を投げる人がいた。子供ながらに混雑といえば浅草とまで思っていた。久しぶりに堂内にも入ったが、まさしく伽藍堂、全然人がいない。なぜだか記憶の浅草寺より狭く感じた。混雑していた時の方が間違いなく狭かったろうに、不思議なものだ。

おみくじでも引いて帰ろうかと思ったが、浅草寺の御籤は凶が多いと聞いたのでやめた。お神籤を引くときは神様にききたいことを具体的にイメージしておいた方が良いらしいが、神様にあえて質問するほどのこともなかったし。

 

人がだいぶ減った仲見世通りは大変見晴らしが良くなったのだが、件のカメラに写るまいと苦心していたから歩きづらかった。もうあえて、写り込む前提でバックからバリバリふざける海外のyoutuberとかがよくやるやつをひとつやってやろうかと思ったが、流石にその度胸はなかった。

 

ああ、こういう時代の変化を観音様は寂しく思ったりするのかな~、と思いながら浅草の駅を出たのだが、多分神仏は人間より上の境地に達しているから、そんな変化も気に留めないんだろうな。せっかく浅草に着いたなら、捕鯨船も見に行けばよかった。

ウェザーリポート

天気で気分が変わるのは、くだらないことだと思っていた。曇りだから気分が滅入るとか、晴れだと気分が上がるとか。そんなわけないだろうと。晴れだろうが人に怒られれば悲しいし、雨の中でも意中の人と話せりゃ有頂天だろうと。しかし今日は朝起きて窓の外が曇天なのをみて、気が滅入った。あ、天気で気分が変わるってこういうことかもなと。思えばここ数日、ずっと晴れだった気もするし。

 

今日気分が滅入ったのは、多分久々に髪を切りに行くからだと思う。髪を切りに行く日は、晴れであってほしい。さっぱりとした天気。

 

けど美容院(野郎が美容院ってのも、なんか気恥ずかしいけど)に向かう自転車を漕ぎながら空を見上げて(前見ろ)、そういえば僕は曇天が好きだったんだよなと思った。ここ最近日当たりのいい日が多くて忘れていたのだが、僕はそもそも曇りの日の、白くどんよりした空が一番好きだったのだ。しかし髪を切りに行く日は別だ。

 

美容院で何話せばいいかっていつも正解がわからない。やっぱ美容師だし髪の話とか好きなのかなと思うけど、髪のことそんな知らないし。おしゃれで可愛い人に対する劣等感って間違いなくあって、美容師さんってみんなおしゃれで可愛いから、下剋上を起こしてやろうといっつも気の利いた話をしたい(話術で勝負だ)と思うんだけど、大体の話は楽しそうにしてくれる(そこはプロだしね)から、下剋上できているかわからない。大体ここで万が一にもすごくウケちゃって、ツボにはまったりして勢い余って全部刈られたりしたら最悪だし、何より向こうは刃物を持っているわけだから下手なことは言えない。こっちは命を握られている。みんな、そういう自覚を持って行ってるのかな?持った方がいい。

 

美容師に関しては本当かどうかまだ調べていない(調べる気もない)ことが一つあって、小学校の頃に「美容師の免許持っている人間以外が耳に触ると法に抵触する」って話を聞いて、結構へえって思った。耳を触られたら訴えてやろうとかも思っていた。この話が本当かは本当に知らないんだけど、多分耳に限らず突然人の体触ったらなんらかの罪問われるよね、そりゃ。

 

少し太陽が出てきました。

ヤッホウベイベーハイテンション。

山田笑太のこと

いつもサザエさんを観ているのだが、昨日はちょっと早めにテレビをつけたから久しぶりにちびまる子ちゃんのエンディングが流れていた。

いつの間にやら曲が変わっていて、斉藤和義になっていた。

 

www.youtube.com

 

歌詞で「ヘンテコなあいつが転んでる」「ヘンテコなあいつが今日も駆けてる」というくだりがあるのだが、そこで映像では山田(「だジョ〜」のアイツ)が転んだり、駆けていたりする(走り方が何気にエグい)。ヘンテコな登場人物ばかりのアニメにあって、公式よりその特異な「ヘンテコ」性を認められている。なんだか涙が出そうになってしまった。感動で。

 

もう山田のことが忘れられなくて調べてみたら、彼のフルネームは「山田笑太」というのだそうだ。すごい名前だ。笑って生きるべくして生きている男。

 

そういえばブー太郎というキャラクターを勝手に(豚という点で)太っちょのキャラだと思っていたのだが、それは小杉だった。小杉は確か給食を食べ過ぎて嘔吐する回があった。なかった?自分の思い出と重ねているのかもしれない。ブー太郎に関しては、一家が登場した時全員語尾が「ブー」で、子供ながらに遺伝って怖いなって思ったものだ。

 

ちびまる子ちゃんっていい話ばかりではないというか、割とイヤ〜な感じの話も多いのだが、その分リアルというか、フィクションなのに現実の小学校を見せられているような、不思議な気持ちになったものだった。

 

きっと今日も山田笑太は笑っているんだろうな。

この世界の何処かで。

そんな世界で生きてる。俺ら。

悲しみは海ではないから

Twitterで「悲しみは海ではないからすっかり飲み干してしまえる」というロシアの諺を見つけた。詩的だ。しかし、これ、漫画のタイトルっぽくないか?いや、でもなんだろうちょっと違和感がある。あ……

 

『悲しみは海ではないから』

これでどうだろう。これはもう漫画だ。Twitterでバズる、ちょっと泣けるタイプの漫画。僕はTwitterで感情を発露することを恥ずかしいことだと思っているので、こういう漫画はある種天敵と言える。でも読んじゃう。感情の「点滴」とも言えるからね(コリャ一本!)。あれかな、恋に敗れて傷心の女性が主人公かな。多分最後は立ち直って前を向いて歩き出すんだろうな(ネタバレ失礼)。絶対に海は出てきます。

 

 

これは多分僕の発見ということで良いと思うのですが、ことわざって後半部分を切り取ってあげると猛烈に漫画のタイトルっぽくなる(全部の諺で「そう」ということではない)。確かに「逃げ恥」とか、全部をタイトルにして流行ったのもあるけれど。以下、いくつかあげてみたいと思います。漫画のイメージは僕の勝手な考えです。皆さんも是非考えてみてください。

 

『犬も歩けば』

これは、高校か中学生の女の子数人が主人公の日常漫画。ちょっと感性が変わってる女の子たちの。あんま普通の女の子って感じじゃない。そういうのが結構好き。下校途中とかで色々変なものを見つけて、それを使って遊んでみる、みたいな。オモコロとかに近い価値観。なんかそういう漫画あったな。

viewer.heros-web.com

これだ。なか憲人氏の「とくにある日々」。ここまでの話全部これのこと言っていた。おすすめです。今公開されているなかだと「道路摩耗文字」の回が特に好き。

 

『親しき仲にも』

これはラブコメディでしょう。異論はないと思います。多分友達として見ていなかった幼馴染に突然告白された女の子が主人公。第一巻の表紙は困り顔の女の子に、良い顔の幼馴染が迫っている絵になると予想。

調べてみたら「親しき仲にも礼儀アリ」という漫画はありました。

 

『飛んで火に入る』

これもラブコメ。諺ってラブコメになりやすいのかな。「逃げ恥」も言わばラブストーリーですものね。でも多分これは、高嶺の花とされる学校一のマドンナに恋をしてしまった男子視点の物語。いや、学校一のイケメンにひょんなことから惚れられてしまった平凡男子のBLか?多分どっちかです。

 

『笑う門には』

んー、お笑い系かな。ギャグ漫画というわけではなく、お笑いの世界を扱った結構熱いやつ。

と思ったらありました。「笑う門には…」。読んだわけではありませんが、どうやら嫁と兄嫁のバトルもののようです。

www.cmoa.jp

 

「逃げるは恥だが〜」はハンガリーの諺だそうなので、海外の諺もみてみます。

 

『神、田園を作り』

イギリスの諺だそうです。かっこいい。

後に続くのは「人、町を作る」なので、ロンドンを大都市に育て上げた人々の群像歴史劇です。逆に地方創生のお仕事漫画でもいいけど、このタイトルなら歴史モノが読みたいかな。宇宙兄弟とかチ。みたいな、たくさんの人が一つの方向を向いて意思をつなぐ的な漫画ってすごく好きだから、あったら是非読みたい。

 

 

ない漫画って無限に考えられますよね。

では最後に。

 

キャプテン、今日の格言!

 

カリブディスから逃れようとしてスキラの餌食となる(ラテンの諺)

 

カリブディスから逃れようとしてスキラの餌食となる(ラテンの諺)?

 

か、かっこいい〜。けど何?

 

カリブディスはメッシーナ海峡の渦、スキラは岩だそうです。渦と岩かい。ドラゴンと魔ライオンかと思った。

 

参考

kotobank.jp

世界はもう、終わっTale

世界が終わる直前ってどう過ごせば良いのだろう。漫画とかの描写でよく、暴動が起きたりするけど本当だろうか。山田風太郎氏の「三十人の三時間」って短編で墜落する直前の飛行機に乗った乗客たちの様子を描いたのがあったけど、まあとにかくしっちゃかめっちゃかだったな。しかも途中で「やっぱ墜落しない」みたいなことになって、その時の反応が結構面白かった。

 

世界滅亡の瞬間に何を食べたいですか、とか、誰と過ごしたいですか、とか、色々あるけど、実際どうしよう。もし、「やっぱおわりませ〜ん」みたいなことを言われたらと思うとあんまりケッタイなことはできないし……。世界滅亡っていうのが他の災害と大きく違うのは、もう何したって記録に残らないってことだから、本当に世界滅亡するなら、欲の限りを尽くして行動する人、結構いるんじゃないかな。けど暴動が起きるみたいな描写はよくわからない。暴動を起こしても得しなくない?主張があっての暴動じゃない?人間の中に押し殺された暴力本能ってそんな恐ろしい代物なの?え、僕これから渋谷行くんだけど。そんな奴らがいっぱいいるところ、行って大丈夫?

1.先に死ぬ

世を儚んで自殺する人はいそう。隕石だか宇宙人侵略だか、大災害だかわからないけど、とにかく苦しい死に方するのは嫌だもんね。それは僕も嫌だ。老衰か、ベテラン老兵として若者を庇って凶弾に倒れて死にたい。死ぬっていうのが嫌だから、不老不死の薬とかあったら全然飲みたいタイプ。よく巷に「苦しまずに死ねる死に方」みたいな文句あるけど、あれは本当なんだろうか。死ぬ時のことって死んだ人にしかわからないから、正直あまり信じられない。雪山で寝て死ぬとかあるけど実はすごく痛いかもしれない。嫌だなと思うのは、死んだら死ぬ直前の感覚が永続するって説。撃たれて死んだら撃たれた時の感覚がずっと残り続ける、みたいな。最悪すぎる。腹上死以外全部嫌な死に方になるじゃないか。こういうのが怖いので、僕は多分自殺とかはしない。何より「やっぱおわりませ〜ん」があるから。苦しく死ぬのも嫌だけど、あー、もしこれで滅亡しなかったら……が頭から抜けない。

 

2.お金を使う

お金を使うことはするかも。これは結構良い。最悪滅亡しなくても、身一つあれば多分なんとかできるから。地球が滅ぶとなったら、前澤社長はまた宇宙に逃げるのかしら。それとももう全部どうでも良くなって、全財産配布するかな。後者がいいな。しかし、そんなに世界滅亡にあたって欲しいものはない。ゲームとか買っても多分全クリできないし、「世界滅亡直前までゲームくらいしかすることない自分」が嫌だ。

そんなすごく食いたいものがあるわけでもない。意外とたこ焼きとか、絶対外さないところ食べたいかも。最後の晩餐不味かったら死ぬに死ねない。キリストとか、最後の晩餐不味すぎて復活したのかも。「え、俺、これで最後?いや無理無理!」って。

英国王室とかが使っているすごく良いベッドを買って、そこでずっと寝ていようかな。「滅亡需要」とかで、すごい経済は潤うんだろうな。ほんと資本主義ってクソ。

 

3.恋を清算する

好きな人に告白、これはいいかもね。いや、もし「やっぱ終わりませ〜ん」ってなって、「こいつ地球滅亡くらい追い込まれないと告れないらしい」ってなったら嫌だ。なんか、地球滅亡を言い訳にしてるのが嫌だ。やっぱ僕は、恋は堂々としたいかな。てか告ってokでもすぐ滅亡しちゃうし。万一振られたら滅亡直前に嫌な想い残して死ぬことになっちゃう。

 

4.人とともに過ごす

人と会う。これも、考えものだ。友達とか家族とか、会っても悲しくなるだけな気がする。誰かがパーティとかやったとしても、なんかそういうノリってちょっと嫌でいかない気がする。ついていけない。あと、未来の話をした瞬間気まずい空気漂いそう。考えすぎ?

 

多分世界滅亡の直前もこういうこと悶々と考えて当日迎えるんだろうな。こんなんなるくらいならいっそアルマゲドンやって僕が地球救いますよろしく。

異能バトルものの、スピンオフの主人公

「一貫性」は持っていなきゃいけないという思いが漠然とあって、その思いに常に苦しめられている。趣味なら一貫してそれを愛し続けなきゃいけない。もちろんキャラも。性格も。思想も。人間関係も。

 

だけど行動の方は全く一貫していない。飽き性だから、基本的に何をしたって飽きてしまう。なんとか続けられたこともあったけれども、やっぱりそれも飽きていた。そんなのは一貫性じゃない。そんな自分が本当に嫌だと思っていた。

 

どうしてそんなに「一貫性」に拘っているのだろうか。ひとつ思い当たるのは、漫画や何かのキャラクターに憧れていたから。彼らは一貫している。岸辺露伴は一貫して漫画家だし、サラリーマン金太郎は一貫して豪快で人好きがするし、四畳半神話大系の「私」は一見一貫性がないように見えて、実は「薔薇色のキャンパスライフ」という意味において一貫していたのだ。結局、主人公になるためには何かしらの一貫性が必要で、一貫性のない僕は主人公にはなれないのだ……。つまり、僕は、主人公になりたいのか?なりたいに決まっている。

 

卑屈に「僕は人生の脇役でいいや」なんて思っていたが、そんなのは言い訳だった。「脇役でいいや」と思いつつ、「けど、ま、スピンオフでは主人公になりたいナ……」と思っていた。スピンオフの主人公なんて、メインの主人公より主人公じゃないか。結局みんなそうなんじゃないか。主人公、なりたくない人なんているのか。僕はなりたくて仕方がない。できれば異能バトルものの、スピンオフの主人公。

 

www.nhk.jp